今日8月6日は広島に原爆が落とされた日です。

 

あの日から72年が経過して、戦争を経験された方もだんだん少なくなってきました。

それに伴って、報道の方もだんだん原爆や戦争を報じるものが少なくなってきたように感じています。

 

私たちの世代は戦争は直接知りませんが、まだ日本には戦争の影が色濃く残っていた時代に少年時代を過ごしました。

私が生まれたのは昭和35年ですから、戦争からわずか15年しか経っていない時でした。

大人たちはみな戦争経験者で、軍隊へ行っていた人が多くいました。

大阪万博が開かれた昭和45年に私は10歳でしたが、戦後25年でしたから20歳で終戦を迎えた人は45歳でした。

朝の満員電車に揺られるサラリーマンのおじさんや、商店街のおじさん、おばさんも、みな戦争経験者だったということです。

だから、ふたこと目には戦争の話を聞かされて、子供相手ですからあまり生々しい話はなかったと思いますが、それでも、「食べ物を粗末にしてはいけません。」「世の中には食べたくても食べられない人たちがたくさんいるんです。」というのはどの大人も口癖でした。

 

今、こういう話を聞くとしたら考えられるのは、「世界は広いから、アフリカの方では食べるものがない子供たちがいっぱいいる。」というような想像になると思いますが、当時の大人たちは、自分が子供だった頃の、戦争で食べるものがなかった時代を振り返って、子供たちに言い聞かせていたんだろうなあと、彼らの年齢になった今では理解できますが、子供だった当時は食べ物に対して口うるさい大人たちはうっとうしい存在だったことを思い出します。

 

今、その当時の大人たちは皆さん80代90代以上になられて、他界されていらっしゃる方がほとんどになりましたが、そういう中で、戦争を風化させず、きちんと語り継いでいくためにはどんなことが必要なのか、きっと私たちの世代が中心になって考えなければいけないのでしょうね。

 

そんな状況の中で、日本を取り巻く世界情勢は大きく変化していることに気づきます。

すぐ近くの国が、大陸間弾道ミサイルの開発を急いでいて、その先端に核爆弾を搭載して、地球上の多くの地域を標的にして、いつでも攻撃できる態勢をとりつつあります。

おそらく近い将来にはそうなるというのが多分正しい見解で、なぜそんなことをしているかといえば、狂人のような独裁者が国民に忠誠を誓わせて、すべての行いを正当化しているからです。

もし、本当に核弾頭を搭載したミサイルが飛んでくるような事態になれば、おそらく広島の何十倍もの威力を発揮すると言われていますから、日本の県庁所在地の一つや二つは簡単に消えてしまいます。

 

そういうことにならないためにはどうしたらよいか。

今、大国がいろいろ模索しているようですが、本当に都市が1つ2つ消えるようなことがあれば、日本なら数百万人が犠牲になるでしょうから、そんな狂人は存在することを許してはいけないし、そういう狂人に操られている国民は、多少の犠牲が出ても仕方ないから、芽が小さいうちに積んでおくべきだ。

 

アメリカなどは多分こんなことを考えている人がいるのではないでしょうか。

確かに、常軌を逸した行動に出る狂人指導者に対して、何もできないというのは問題でしょう。

でも、アメリカは広島になぜ原爆を落としたか。

そう考えてみると、当時の日本は今の狂人指導者の国と同じ状況だったのではないでしょうか。

天皇陛下の名のもとに軍部が独走して、反対する人間は全員非国民として投獄される。

軍部を誰も止められない状況にあって、「一億総火の玉だ!」などと言っていたわけで、神風という名の自爆攻撃で敵に体当たりしていく国民をアメリカが見たら、狂人の指導者に洗脳された国民となったのではないでしょうか。

だから、広島、長崎に原爆を落としたら一般人に多くの犠牲が出るということをわかっていながら、それをやった。

そんな国民は多少犠牲になっても構わない。そうでもしなければ戦争は終わらない。

これかアメリカの正義ですね。

 

だから私たちはそこから学習しなければいけないと思います。

 

世の中には色々な考えや意見を持っている人たちがいますから、どれが正しいとは一概に言えないと思いますが、一つだけ正しいことがあるとすれば、それは罪もない人たちが殺されるようなことがあってはならないということ。

でも、この地球上で、今、この瞬間にも紛争が起きていて、たくさんの弱い人たちが犠牲になっているということも事実なんです。

 

私たち日本人は何をしなければならないのか。

結論は出ないかもしれませんが、考え続けなければならないと思います。

それが、戦争で亡くなられた多くの方々の死を無駄にしないということだと私は考えます。