札幌丘珠空港から函館空港に向かっていた自衛隊の飛行機が函館空港付近で行方不明になっているというニュースが報じられています。

民間機じゃないし、旅客機じゃないから大きなニュースにはなっていないかもしれませんが、私はなんだか引っかかります。

その理由は、「ばんだい号」のコースと同じだからです。

 

昔、私が子供の頃、東亜国内航空のYS11が丘珠から函館に向かっている途中、函館付近で消息を絶って行方不明になりました。

その飛行機が「ばんだい号」という名前でした。

1971年、昭和46年7月の話です。

当時の飛行機には1機ごとに名前が付けられていて、それが川の名前であったり山の名前であったりしたのですが、例えばハイジャックされて北朝鮮へ飛んで行った「よど号」など、大きな事件や事故が起きるたびにその機体に付いていた名前が事件の代名詞になったわけです。いわく「ばんだい号墜落事故」のように。

そして、日本の航空会社は、この「ばんだい号事故」を契機に、機体に特定の名前を付すことをやめたのです。

つまり、悪いイメージが定着するのを避けるために。

 

ではこの「ばんだい号」事故というのがどういう事故であったかというと、丘珠空港から函館空港へ向かっていたYS11が、悪天候で函館空港に着陸できず、再着陸を試みて旋回しているうちにコースをずれて函館市北部の横津岳にぶつかって墜落したのです。

ただし、当時はレーダーが完備されていませんでしたので、当初の報道は行方不明。つまりどこへ行ったか分からない状況です。

私は小学生でしたが、ニュースで「ばんだい号行方不明」と言っていたのをはっきりと覚えています。

飛行機がどこへ行ったのかわからなくなってしまった。

これは大変なことになったぞ。

すでに燃料が切れる時間を過ぎている。

どこかに不時着でもしてればよいが。

こういう憶測が乱れ飛ぶうちに、夜が明けて、横津岳に墜落しているのが発見されたのです。

 

人間の記憶というのは複雑に絡み合っていて、それが断片的に頭の中でつながっているわけですが、1971年といえば46年前の話ですから、当時の小学生がなんでそんなにはっきりと事故のことを覚えているのかといえば、まあ当時は飛行機事故が多くて、事故が起きるたびにテレビで大騒ぎになっていたことはもちろんなんですが、当時はまだ飛行機が一般的な乗り物でなかったということもあり、札幌から函館へ向かう飛行機が墜落したということは、当時はまだC62重連の急行「ニセコ」が同じ区間を走っていたわけで、「国鉄で行けば事故に合わなかったろうに。」などと思ったのかもしれません。

そして、その「ばんだい号」事故から3週間も経たないうちに全日空の飛行機が自衛隊機に標的にされて空中衝突をして墜落するという「雫石事故」が発生したのです。

 

今回の事故は、「ばんだい号」と全く同じコースで、夜を迎えた現時点で行方不明になっているという点も当時と同じ。

だからなんだか嫌な感じがしますね。

 

46年前の飛行機事故など知らない人がほとんどだと思いますが、事故から学ぶ教訓というのは忘れてはいけないものがあるのは間違いありません。事故は風化させてはいけないんです。

特に私たち運輸業に携わる者としては、教訓としてきちんと語り継ぎ、二度と同じような事故が起きることを防がなければなりません。

 

当時はフライトレコーダーなども装備されていませんでしたから、「ばんだい号」事故のはっきりとした事故原因は不明ですが、今の世の中でも同じような事故が発生するということは、不思議というか、不安です。

行方不明の機体の一刻も早い発見と、人命の救助を切に願いたいと思います。